上ノ原の水芭蕉(群馬)


東京近郊で日帰りで行ける水芭蕉の咲く湿原で、比較的静かな所として上ノ原があります。


ここはかつては広大な草原でしたが、南側が西武によってリゾート開発され、水上高原スキー場とゴルフ場に変えられてしまいました。


しかし、水芭蕉の咲く湿原だけは残され、湯ノ小屋から見に行くことができます。


比較的静かというのは、水芭蕉の時期の5月中~下旬(雪の残る年もある)はスキーはだめ、ゴルフにも早いという端境期なので、裏側にあるリゾートもそんなに騒がしくないというわけなのです。


水上駅から湯ノ小屋行きのバスに乗り終点で下車します。


千代ノ松という大木の反対側に入口があり、車道から離れてカラマツの樹林の下を緩やかに登っていきます。


ちょっとした乗越(尾根を越える場所)があり、スギの大木の下に祠があります。


下っていくと茶色の冬枯れの草原が広がってきます。


よく見ると茶色の中に緑と白の線がいくつもあるのです。


近づいていくと流れに沿って咲いている水芭蕉だとわかります。


周りのシラカバの林の縁には群落になって咲いています。


林の彼方には、豊かな残雪を見せる谷川岳がそびえています。


ゆっくりと水芭蕉と早春の森を堪能したら、来た道を戻りましょう。


大芦へ下るコースもありますが、バスの始発でもある湯ノ小屋のほうが便利ですし、時間に余裕があれば、温泉に入って、汗を流して帰ることもできますよ。


水芭蕉の咲く時期は残雪によって違います。


雪の多い年は5月の中旬でも芽がやっと水面に出ただけなのに、少ない年はちょうどいいなんてことになるのです。


おもしろいのは、雪の下の水中に水芭蕉は芽を出していて、雪が溶けると花を咲かせる用意をしていることでしょう。

湿原の代表的な木はシラカバと思われがちですが、シラカバは湿原だけでなく草地などの荒れ地に最初に生育するもので、どちらかといえぱ高層湿原の樹木です。


低層湿原を代表するのは、ハンノキでしょうか。


この木はかつて水田風景でよく見かけた稲を架ける木(稲架木)として利用されました。


水分が多く栄養分の少ない初期湿原の土壌に生育しやすい性質(根に根瘤バクテリヤをもち、窒素を固定化する)の木なのです。


釧路湿原(北海道)


わが国最大の湿原である釧路湿原は、日本で最初にラムサール条約に登録された湿原でもあります。


ラムサール条約は「水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」と訳されています。


この条約が採択されたイランのカスピ海に面するラムサレルという町の名で一般に呼ばれています。


渡り鳥には国境はありませんものね。


しかし、湿原や湿地、干潟などは自然破壊されやすいのです。


渡り鳥の生息地になるこれらの自然を国際的に保護することを目的につくられた条約です。


93年には、釧路市でラムサール条約国際会議が開催されました。


釧路駅から、釧路湿原の観光バスも運行されています。


2万ヘクタール以上の広大な湿原全部を見ることは1日ではとてもできません。


展望台巡りならバスでいいでしょうが、できれば自分の足で歩いて湿原を楽しみたいですよね。


わたしがおすすめするコースは、釧路湿原駅と塘路駅周辺の湿原歩きコース。


どちらも駅から往復2時間程度なので、北海道旅行の際に1日割けば日本最大の湿原を堪能することができますよ。


湿原には独特の地形や呼称があります。


湿原や湿地は谷地とか谷田とか田代などと呼ばれていました。


これらがついた地名は多く、いずれもかつては湿原であったのか、現在も湿地の場所です。


田代や谷地が山腹や山頂にある場合もあり、神ノ田、神田とか餓鬼ノ田とか鬼ノ田などの地名がつい
ている所もありますね。


一説に、これらは、領主の目から山中の田を隠すためのもので、湿原や湿地ばかりでなく水田にしたものもあったともいいます。


温度の低いほうが泥炭化が進むため、北海道や東北、越後、中部には山上が湿原になっている山が多いです。


ちょっと考えただけで、大雪山、八甲田、朝日・飯豊連峰、会津駒ヶ岳、苗場山などが浮かび、山中の湿原でロープウェイや車などで簡単に行ける所としては、大雪山、釧路湿原、八甲田、裏磐梯、尾瀬、駒止湿原、乗鞍高原、千畳敷(木曽駒ヶ岳)、玉原湿原などがあります。


木道を歩いていれば安全だが、これがない湿原では、ヤチマナコという穴が草で覆われていたりすることがあるから注意しないと大変なことになります。


逆に泥炭が盛り上がって、小さな丘が続いているのをヤチボウズといっています。


九州西方の対馬・朝鮮海峡は少しだけ深すぎたため陸橋はできなかったと考えられている。

岩手、長野、神奈川、岐阜の各県からヘラジカの化石が産出している。

これらの化石の発見は、当時の日本が現在よりもずっと寒冷な気候であったことを示している。


最終氷期の最寒氷期には、北海道の西部から本州中部までは常緑針葉樹林におおわれていた。

ヘラジカはサハリン方面から陸橋を伝って北海道、さらには津軽海峡をこえて本州中部まで南下したと考えられる。

ヘラジカたちは、本州でも川沿いや、森のところどころにある湿原を中心に暮らしていたのであろう。

本州におけるヘラジカの化石の分布も、当時の常緑針葉樹林の南限とほぼ一致している。

ヘラジカは沼沢地と森の広がる寒い地方にすむ巨大なシカである。

そのなかでもアラスカ産のヘラジカはもっとも大きくなり、肩の高さがおよそ二・ニメートル、体重が七〇〇キロにもなる。

現在のヘラジカの分布はユーラシアと北アメリカの高緯度地域に限られ、優勢な針葉樹林の分布とほぼ一致している。


現在の日本にヘラジカは生息していないが、今からおよそ二万年前の最終氷期の最寒氷期には、この巨大なシカが日本列島を歩き回っていた。

ヘラジカはどこから日本に渡ってきたのだろうか。

氷期には陸上に氷河や氷床として海水が固定されるため海面の低下が起こる。

最終氷期の始まった、およそ七万年前から海面はどんどん下がってゆき、およそ二万年前にはマイナス一〇〇メートル前後まで低下した。

こうなると、水深の浅い間宮海峡や宗谷海峡には陸橋(ランド・ブリッジ)ができ、サハリンから北海道まで陸続きとなる。

津軽海峡もこの著しい海面低下によって非常に狭い海峡となった。

狭い口から軟体部を出し、殻全体を包み込んで行動するようになるので、殻がすべすべと輝くようになるのである。

タカラガイの多くは熱帯や亜熱帯のサンゴ礁の海に生息し、日本では南にいくほど多くの種を見ることができる。

相模湾では、これまでに四〇種ほど記録されているが、そのなかには幼貝しか見つからない種もある。


ふ化直後のタカラガイはベリジャーというプランクトンの時期をへて幼貝になる。

南の海でふ化したベリジャーは、黒潮に乗って温帯域まで流され、相模湾などで幼貝として発見されると考えられている。

死滅回遊魚がやがて死を迎えるように、これらの貝も大人になることなく死を迎える。

このような貝類に関する研究は、死滅回遊魚に関する研究に比べてまだまだ遅れているが、貝は死して殻を残す。残された殻に記録された情報は莫大だ。

古来、日本人は殻をもつ生きものを、「介」とよんでいた。

現在、海産物を広く「魚介類」とよぶのは、その名残であろう。


江戸時代に発展した本草学では、「介」をさらに細分し、カニ、カメ、ウ二、フジツボなどを「異形」、マテガイなど細長い二枚貝を「蛙」、ハマグリなど丸い二枚貝を「蛤」、サザヱなど巻貝を「螺」、アワビなど偏平な貝を「無対」、タカラガイを「貝」とした。


その意味では、タカラガイこそ「貝のなかの貝」かもしれない。

そもそも「貝」という漢字はタカラ、ガイの形を模した象形文字なのだ。

タカラガイは世界で約五〇〇種、日本近海では一〇〇種あまり確認されているが、どの種もよく似た、ゆで卵を縦に切ったような形をしている。

巻きの最後は大きく内側に曲がり、殻の口は狭いスリット状になっている。

殻の表面はぴかぴかと輝き、たいへん美しい。

実は、タカラガイの幼貝はほかの巻貝と同じような形をしている。

しかし、性的成熟に達するころ、つまり大人になるころに突然、タカラガイの形に変身する。

大部分は、低い水温に耐えられずに死んでしまうのである。

南の海から運ばれてきて、冬をこせずに死滅するため、一般に、かれらを死滅回遊魚とよんでいる。


相模湾からは、これまでに一〇〇〇から一三〇〇種の魚が記録されているが、これらのなかには、かなりの割合で死滅回遊魚が含まれている。

生物は、進化の過程で分布域をより遠くへ広げてゆく。


海産魚の場合は、黒潮のような海流が分布の拡大に重要な役割を演じている。

死滅回遊魚の生まれ故郷を特定できれば、その魚の移動距離、すなわち移動能力がわかる。

分布の拡大能力を測ることにより、現生海産魚の分布パターンがどのような過程を得て成立したのかがわかるかも知れない。

かれらは海産魚の分布の謎をとくカギをにぎっているのである。

夏の終わりから晩秋にかけて、相模湾は一年のなかで、もっともにぎやかな時期を迎える。

ベラやチョウチョウウオなど、色とりどりの熱帯・亜熱帯性の魚の幼魚たちが目につくようになるからである。

本来、サンゴが育つ南の海の住人であるこれらの魚たちは、いったいどこからやってくるのだろうか。


実は、沖合いを流れる黒潮が、南の海から暖かい海水とともにかれらを運んでくるのである。

ただし、運んでくるといっても成魚が海流に乗ってやってくるわけではない。

卵や遊泳力に乏しいふ化後間もない仔稚魚の時代に、流されてくるのである。

ただ、かれらの生まれ故郷は正確にはわかっていない。

サンゴの育つ紀伊半島以南のどこかと推測されている程度である。

かれらはやがて悲しい運命を迎える。

一二月も後半になって水温が下がると、かれらは一つ、また一つと姿を消してゆく。

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ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」は、ガーナにある近世の要塞群の世界遺産登録物件。
ガーナ(旧ゴールドコースト)の沿岸部には、イギリスやオランダをはじめとする西洋諸国がかつて建造した、西洋式の要塞群が多く現存する。
世界遺産登録に当たっては、それら要塞群のうち、ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州に残る15世紀末から18世紀初頭に建造された11件が対象となった。
なお、この物件は、日本では「ガーナのベナン湾沿いの城塞群(要塞群)」と意訳されることがある。


ガーナの沿岸部には、15世紀以降西洋人が貿易のための拠点を設置した。
ベナン湾一帯は、かつてゴールドコースト(黄金海岸)と呼ばれたことからも明らかなように、
もとは金の輸出で栄え、のちには奴隷貿易で栄えた。

貿易が盛んになり、拠点となる要塞(多くは商館を兼ねる)が次々建てられると、
沿岸部は要塞群が点在する独特の景観を呈した。
かつて60以上あった要塞群も現存するのは約3分の1であり、
博物館や学校等の施設に転用されているものもある。

これだけ、ガーナは貿易で栄えていたというのがよく分かりますね。
ただ、せっかくの建物が施設として転用されているのは少しもったいないような...。

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